オペラ歌手のマリア・カラス(Maria Callas)は1923年12月2日生まれ。アメリカ合衆国・ニューヨーク州出身。1977年9月16日逝去。
ギリシャ系移民を両親に持ち、幼い頃から母の意向もあって歌手としての道を歩き始める。やがて、両親が離婚すると、母と姉に連れられてギリシャへ移住。アテネ音楽院でエルビーラ・デ・イダルゴに師事して歌を学ぶが、この頃、カラスはストレスのため過食症となってしまい、内向的な性格をしばらく引きずるようになる。
41年にプロのソプラノ歌手としてのデビューを飾ると、47年にはイタリアで開催されたヴェローナ音楽祭で「ラ・ジョコンダ」の主役に抜擢される。その歌声が高い評価を受けると、その後も順調にキャリアを積み重ね、50年には「アイーダ」でミラノ・スカラ座に、56年には「ノルマ」でメトロポリタン歌劇場にデビュー。卓越した歌唱力に加え、物語に感動を与えるドラマティックな演技は、当時多くのオペラファンを魅了している。一方で、私生活では49年に実業家ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニと結婚し、順調な人生を謳歌していた。
しかし、54年のギリシャ公演で母ともめ事を起こして絶縁すると、激怒した母親はカラスの醜態をマスコミに暴露。これによって、カラスは親の面倒をみない恩知らずとして世間からパッシングを受けてしまう。また、50年代後半になると喉の不調によって上演中での途中退場が目立つようになり、カラスが舞台に立つ機会は目に見えて減っていった。
そんな、傷心のカラスの救いになったのが、富豪アリストテレス・オナシスとの出会いだった。恋に落ちた2人は逢瀬を繰り返し、59年にカラスは長年連れ添ったメネギーニと離婚。オナシスも60年に妻と離婚し、2人の結婚はもう間違いないと誰もが思っていた。しかし、68年にオナシスはジョン・F・ケネディの元妻である、ジャクリーン・ケネディと結婚。マスコミに「浮気女」と呼ばれてまでも貫いたカラスの愛は終わりを迎え、彼女は自殺未遂を起こすほどの深い傷を心に負うことになる。
その後、マリアは74年のワールドツアーを最後に、ソプラノ歌手としての活動を休止。77年にパリの自宅で心臓発作のため息を引き取った。