フランスのアシェット・フィリパッキ・メディアの親会社、ラガルディールSCA社が、アメリカのメディア・コングロマリットであるハースト社に、雑誌部門を売却した。それにより、アシェット婦人画報社は、ハースト社の子会社となり、2011年7月1日よりハースト婦人画報社と社名を変更した。
元エル・ジャポン編集長の森明子は、エルの任を終了し3ヶ月ほどの休養をとっていた2012年春、社長よりハースト社が出版する雑誌を日本で創刊する上でのリサーチを開始して欲しいという、新たなミッションが言い渡された。
ハースト社の雑誌というと、Harper's BAZAARとEsquireとCOSMOPOLITANだ。いずれも日本版が出版されていたが、既に日本には存在せず、その理由やそうなった経緯についてリサーチすることから着手した。3誌にかかわっていた人達や代理店、クライアントにヒアリングし、まとめたレポートを元に、2ヶ月に及ぶ社長とのミーティングを重ね、『ハーパーズ バザー』を「創刊」することに決定した。
以前の発行は日本の会社がライセス契約を結び成立していが、今回はハースト社のDNAを持つ子会社が直接出版するわけで、彼らにとっても名実共に「創刊」と呼べるものだった。合わせて、日本版の正式名は、表記上“日本版”や“ジャパン”を付けると長くなるので“ハーパーズ バザー”とした。
その年の10月に森編集長は、斉賀明宏広告本部長とともにNYへ赴き、ハースト社の責任者と創刊に向けた話の詰めに入った。創刊のタイミングは2013年9月または翌年の3月と決定。米版バザーのグレンダ・ベイリー編集長、クリエーティブディクターのスティーブン・ガン、パブリッシャーのキャロル・スミスとインターナショナルのチーム(実際にはここと仕事をする)に、会うことになった。残念ながらスティーブンは、NY不在のため会えなかったが。
「エル時代に米版ELLEのパブリッシャーをやっていたキャロルとは旧知の仲で、彼女の有能さはよく知っていたので、バザーでも一緒に働けることを互いに喜びました」と森総編集長。
キャロルはバザーの改革を進めている最中で、部数、広告を延ばし実績を上げていた。海外との仕事は、旧知の有能な人が本社に居るのは心強いものだった。
NY滞在中に、スタッフのことやバジェットについて、米側にプレゼンし、ディスカッションした。当面、あらゆることが本国に承認されなければことは進まないが、裏を返せば歴史的なBAZAARのイロハを知る良い機会でもあるのだ。