“伝説”といえるショップ「プロペラ」で、バイヤー・プレスを担当し、現在は自身のブランド・モヒート(MOJITO)のデザイナーを務める山下裕文が、『メンズクラブ(MEN'S CLUB)』の元編集長・小暮昌弘を聞き手にブランドルーツを語る。
小暮:山下さんは熊本ご出身ですよね。東京にはいつ出られたんですか。
山下:高校卒業して、服飾の専門学校に行ったのが、18歳のときです。
小暮:最初に勤められたのが「プロペラ」?
山下:いえ、東京に出てきて服飾の専門学校に3年通い、その後半年間、スタイリストのアシスタントをして…。
小暮:「プロペラ」に入ろうと思ったのはどういう理由なんですか。
山下:当然僕も服好きの男だから、洋服のルーツを、横に広げるんじゃなくて、下へ下へと、掘り下げていくわけです。熊本や東京で、僕が見たり、買ったり、触ったりしたものって、ほとんどアメリカの服なんです。「プロペラ」に入ったのもそういった理由から。当時「プロペラ」は、ほぼ全部がMade In U.S.Aで。僕らにとっては、宝石箱みたいな店でしたからね。ここに1日中居られればいいなと、思っていましたから(笑)。
小暮:その後はいくつかのショップやブランドのコンサルティングなどを経験し、フリーランスになって、2010年にモヒート(MOJITO)を作ったわけですね、ヘミングウェイをテーマに。僕らの世代だったらヘミングウェイは、すぐイメージ出来るんですけれど、若い人には、ヘミングウェイという存在は、もう昔に亡くなっているし、遠いじゃないですか?今山下さんの服を買ってくれる人たちは「モヒート=ヘミングウェイ」と意識してくれますか?
山下:それがイメージしてくれているようです。北海道とか京都とか、同じ場所に毎年2回トランクショーに行くのですが、僕の洋服をきっかけにしてアーネスト・ヘミングウェイに興味を持ってくれたという話をよく耳にします。「この間(山下さんが)話されていた、あの本を読みました!」とかお客さんが言ってくれるんです。
小暮:「アルズコート」だったら、モデル名の由来になったアルが登場する『殺し屋』(1927年発表)を読んでくれるわけだ。それは素晴らしい!ここ数10年くらい、洋服は消費されていく傾向が強いですね。次々と流行が変わったりして。でも男の服は、そうじゃなくてもいいような、気がします。もしかしたら買う側は普遍性みたいなものをモヒートに見ているのかも。そういえば、身幅が大きくて、着丈が短めの変わったセーターを作っていますね。
山下:「ウィズバンビニット」ですね。
小暮:あのセーター、意外に若い人とか、女性までも反応してくださったんでしょ。若い人が飛びついてくれて、それをきっかけに、「ウィズバンビ」(ヘミングウェイの息子ジャックの愛称がバンビで、最初の妻ハドリーと3人で撮った写真が有名)って何だろう、と興味を持ってくれたらいいですよね。
山下:もう、最高です!
小暮:最初の頃、カタログというか、小冊子作っていたじゃないですか。(『ヘミングウェイの流儀』を書いた)山口淳さんが文章を書かれていて。モヒートの品名にまつわるストーリーが描かれている、素敵な作りでした。
山下:それが悪いという意味ではなく、カタログなどを見ていると「顔料染めのクルーネック天竺」という商品名が書いてあるじゃないですか。僕、そういうのが嫌いなんですよ。Tシャツを、天竺という素材で、顔料染めにしました…。そういうのは、洋服を着るお客さまにはあまり関係ないわけで。小冊子を作ろうと思ったときに、山口淳さんに、洋服の細かいところは一切書かないでくれっていいました。淳さんもはじめキョトンとした顔をされて。
小暮:普通だったら服のスペックなど、詳しさを求めますもんね、カタログだから。
山下:山口淳さんが「僕にそんなことを言ってきたのは山下さんくらい」と。写真も白黒でいいし、サイズも書かない。値段も書かない。生地とか、縫い方っていうのは必要最低限に、と言ったら「面白いね、じゃあやろうよ」と引き受けてくださったんです。
小暮:それはある意味、モヒートを山下さんがひとりでデザインして、製品まですべて係わっているから、決断出来るということでは。普通の会社の発想では、そこまで大胆なことはできない。で、山下さんは作るだけでなく、日本全国を廻り、ときには店頭に立ち接客までされるわけじゃないですか。
山下:(店頭に立つことは)自分自身の勉強にもなるし、着る人ってこう考えるんだ、私の服をこんな風に着てくれるんだ、と直接感じることができます。でも僕の服に限らず、メンズの服って、なかなか手強い。誰でもなんでも似合うわけじゃない。じゃあ似合うためにはどう着こなせばいいか、それを僕なりの提案でお客様に直接話せる、これも嬉しいです。
小暮:えっ、モヒートを似合うようにするには、どうしたらいいんですか?
山下:そうですね、まずは堂々と着ることですね。やっぱりこれがいちばんかな。僕がフィッティングに付くと、若い人が緊張したり、ちょっと恥ずかしそうに着てくれるんですが、やはり堂々と着るっていうのが、いちばん肝心です。
小暮:なるほどね。
山下:僕らの若い頃と違って、今はみんなスタイリッシュでしょ。なぜならば、洗練されたものが多く売られているから。だから何を着てもカッコいいんですけれど。昔は、ちょっと変な洋服でも堂々と着ていたのが、逆にカッコ良かったんです。半分糊が落ちてないようなジーンズに、ブカブカのMA-1着ているんですけど、堂々着ているからカッコよかった。なぜなら(服を選ぶ)選択肢があまりなくて。これが欲しい、これが着たいという強い思いと目的が着る側にあったからなんです。僕が作るような無骨な服を着る秘訣がこれです。
小暮:これを着るためだったら、着倒すみたいな迫力ですね。昔はありましたね。
山下:そこが大きく違うと思います。
小暮:そうか、堂々と着る。いや、なかなかできないですからね。でも山下さんはいつも堂々とモヒートを着ていますね。山下さんをお手本に着ればいいんですね。では、山下さん、最後に、今後はモヒートをどうしていきたいですか。
山下:もう少しモヒートを「面」的に見せていくことを意識しようかと思っています。単品で「アルズコート」や「ガルフストリームパンツ」などの「物語」を紡いでいくこと、それはそれで僕は好きなんですが、もう少しコーディネートというか、ブランド全体のイメージを構築することもしていきたいですね。ファッションなので、10年前と今のものは、違わなきゃおかしい。でないと自分がやっていることを否定することになる。しかし「父親が愛用していたブランドなんだ」といわれるくらい、次の世代までこのブランドを継続できたら最高だと思います。先日、札幌イベントの打ち上げで飲んでいたら、僕の前に(お酒の)モヒートが出てきたんですよ。カウンター端に座っていた人が「うちの子供、山下さんに抱っこしてもらったんです」とモヒートを勧めてくれたんです。その人は3年前に札幌のイベントで接客させていただいた人だったんですね。すぐにお子さんを抱っこしたのを思い出しました。例えばですが、その息子さんがお父様に買っていただいたモヒートを着てくれたら、デザイナー冥利に尽きますね。自分が作った服が古着屋さんに並ぶ……。そうなったらもう最高じゃないですか。
小暮:そうですね。モヒートの服はその素質、普遍性を持った希少なブランドだと思います、絶対。これからも頑張ってください。今日は、貴重なお話、ありがとうございました。
【プロフィール】
山下裕文(Hirofumi Yamashita):1968年熊本生まれ。原宿の伝説ショップ「プロペラ」でバイイング、プレスを担当。その後フリーランスに転身し企業のコンサルティングなども務め2010年、自身のブランド・モヒート(http://mojito.tokyo/)をスタート。
小暮昌弘(Masahiro Kogure):1957年埼玉生まれ。法政大学社会学部卒業。学生時代よりアパレル会社で働き、卒業後は婦人画報社に入社。『25ans』編集部を経て『Men’s Club』編集部へ。2005から07年まで編集長を務める。その後、フリー編集者に。雑誌『Pen』『Men’s Precious』『サライ』などを中心に活躍。
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