映画監督で俳優のジャック・タチ(Jacques Tati)は1907年10月9日生まれ。フランス・パリ出身。1982年11月5日逝去。
兵役後はラグビーの名門クラブに所属する一方で、若い頃からパントマイムで磨いた技を活かして、劇場で無声喜劇に出演していた。32年には俳優としてデビューしており、36年公開の『左側に気をつけろ』では、主演と脚本を同時に担当。本格的に活動の拠点を映画に移すと、46年には主演映画『郵便配達の学校』で初監督を飾った。
『郵便配達の学校』が成功を収めると、タチはこの映画の主人公“郵便配達人フランソワ”というキャラクターを活かせないかと考える。そこで生まれたのが49年に公開されたコメディ映画『のんき大将脱線の巻』だった。この作品はタチが初めて監督と脚本を担当した長編映画となり、彼が演じた片田舎の郵便配達人の“ユロ氏”は、以降のタチ作品には欠かせない人物となる。
やがて、53年には『ぼくの伯父さんの休暇』を発表し、アカデミー オリジナル脚本賞にノミネート。58年には『ぼくの伯父さん』でアカデミー 最優秀外国語映画賞を受賞し、タチは世界に知られるコメディ映画監督となる。そのどちらにも、タチは主人公のユロ氏役で出演しており、コミカルなエピソードと共に人気を集めた。
『ぼくの伯父さん』が世界的な成功を収めた後、タチは次回作『プレイタイム』の制作に取り掛かる。それは、近未来のパリを舞台としたもので、この撮影のためにタチは張りぼての高層ビル群を製作。フランス映画史上最大となる製作費を掛け、完成までに実に10年もの歳月を費やすことになる。しかし、上映された作品に対して、マスコミの反応は冷ややかだった。結局、『プレイタイム』は興行的に惨敗し、タチは資金難に陥ってしまう。
その後、71年には『トラック』を、74年にはテレビ映画『パラード』を製作。これらの功績が評価されて、77年にはセザール賞を受賞するが、82年に逝去。生前に映画監督のジャン=ジャック・ラグランジュ(Jean-Jacques Lagrange)と共同執筆していた脚本は、シルヴァン・ショメ(Sylvain Chomet)監督によって、10年に『イリュージョニスト』として公開された。