写真家のロバート・キャパ(Robert Capa)は1913年10月22日生まれ。ハンガリー・ブダペスト出身。本名はフリードマン・エンドレ・エルネー。1954年5月25日逝去。
服飾サロンを営むユダヤ系一家の次男として生まれる。30年に左翼学生運動への参加を理由に逮捕されると、翌年には国外退去を命じられた。これを受けてベルリンに移住したエンドレは、ホーホシューレ・ヒュア・ポリテークに入学。しかし、当時のヨーロッパでは反ユダヤ風潮が高まっており、これをきっかけに実家のサロンが倒産してしまう。そのため、仕送りを受けられなくなったエンドレは、やがて学校を退学することになる。その後、一時は写真通信社デフォトで暗室係として働いていた時期もあったが、カメラマンとして独立すると、拠点をパリに移すことになった。
この頃、エンドレは写真家のゲルダ・タロー(Gerda Taro)と交際していた。やがて、報道写真家として行動を共にするようになると、タローは2人の活動名として架空の写真家を名乗ることを提案。こうして、裕福で著名なアメリカ人カメラマン“ロバート・キャパ”は誕生した。
36年にキャパはスペイン内乱を取材するため、コルドバ戦線に向かうことになる。この時に撮影されたのが、かの有名な「崩れ落ちる兵士」だった。これは兵士が頭を撃たれた瞬間を撮影したものと言われており、37年にアメリカのグラフ誌『LIFE』に掲載されると、たちまちキャパの名は世界中に知られることになる。しかし、この戦争でゲルダは戦車にひかれて死亡。以降、キャパはエンドレ1人を指す名前となった。
その後、キャパは38年には日中戦争を、43年には第2次世界大戦のノルマンディー上陸作戦を撮影。終戦後はアメリカで市民権を獲得し、47年には写真家集団マグナム・フォトを設立している。以降は戦場から離れて、女優のイングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman)などの著名人を撮影する傍らで、当時は冷戦下にあったソ連の様子を『ヘラルド・トリビューン』紙などで発表していた。
しかし、54年にベトナム戦争を取材することになると、戦場で地雷を踏んで死亡。当時、40歳の若さだった。
近年国内では、2013年1月に、神奈川・横浜美術館で「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展が、2014年3月に、東京・恵比寿の東京都写真美術館で「101年目のロバート・キャパ - 誰もがボブに憧れた」展が開催された。