建築家のオスカー・ニーマイヤー(Oscar Niemeyer)は1907年12月15日生まれ。ブラジル・リオデジャネイロ出身。2012年12月5日逝去。
1934年にリオデジャネイロ国立芸術大学建築学部を卒業。35年から設計事務所に勤務し、旧教育保健省庁舎の設計にかかわった。この時“モダニズム建築の父”と呼ばれたフランスのル・コルビュジエ(Le Corbusier)と出会う。40年、当時ベロ・オリゾンテの市長を務めていたジュセリーノ・クビチェックと出会い、パンプーリャ湖畔の開発計画に参加した。第二次世界大戦後の52年、コルビュジエらと共にアメリカ・ニューヨークの「国際連合本部ビル」をデザインした。
56年から60年には、ブラジルの大統領・クビチェックの呼びかけで、新首都「ブラジリア」の大統領府や国会議事堂、最高裁判所などの主要建築物の設計を手掛けた。建築物には、ニーマイヤーが語るところの「自由な曲線」が多用されている。
60年代から80年代中盤のブラジル軍事政権下においては、左翼的な政治志向のために設計活動を禁止されてしまう。そのため、67年亡命に近い形でパリに住み着き、その後約20年間フランスを拠点として活躍。同国の他にも、イタリア、アルジェリアなど世界各地で設計活動を行った。
民政復帰後は、生まれ故郷のリオデジャネイロに戻り設計活動を再開。84年からは、スラム街の子供たちのために200校もの”教育センター”を設計した。その後も、”花”をイメージしたニテロイ現代美術館、”巨大な目玉”のようなオスカー・ニーマイヤー美術館などを設計し続けた。2012年12月5日、肺炎などのため104歳で死去。
「ジル・サンダー(JIL SANDER)」の13-14AWコレクションは、彼の建築作品の曲線美などをアイデアソースに、造形的でミニマルなスタイルを提案している。